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昭和中期 昭和10(1935)年〜昭和20(1945)年 |
□ 第一高等学校(昭和中期) |
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駒場時代 昭和10年、本郷から駒場へ移転。昭和25年まで駒場時代となる。 |
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偉容を誇る新校舎 移転当時の空から見た駒場キャンパス。 |
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駒場、時計台 正門を通して本館時計台を見る。 |
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駒場の紀念祭 昭和11年2月、駒場移転後の最初の紀念祭が盛大に行われた。 |
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陸運三高戦 駒場の対三高陸運戦。中央に見える一本松は名物であったが惜しくも戦災で焼失した。 |
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秋の行軍 戦前に行われた行軍は、執銃武装の形式で毎年秋に行われた全校生による演習旅行であったが、 実際には楽しい行事のひとつであった。 昭和12年頃の塩原への行軍。このほかに伊香保、伊豆の伊東などへもよく行った。 |
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駒場の嚶鳴堂 駒場の嚶鳴堂。ここで多くの行事が行われた。 |
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弥生道 「弥生道」は駒場における一高のシンボルである。 駒場で生活した寮生にとっては忘れることのできない思索と逍遥の道であった。 |
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創立60周年記念祝賀会 昭和13年11月、倫理講堂に於いて創立60周年記念祝賀会が行われた。 橋田邦彦校長式辞。 |
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戦時下の厳しさも 戦争が激しくなると教練の成果を見るため査閲が行われた。 |
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一高前駅 駒場に移転してからほどなく「一高前」駅ができた。 |
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安倍能成校長 昭和15年、一高校長に就任。21年まで在職。 戦時色が次第に濃くなる時期から荒廃・破壊の時代を経て、やがて敗戦を迎えるまで、 一高にとって最も困難な危機の時代を校長として乗り越えた。 |
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教室風景 昭和15年、ドイツ語の名物教授ペツォルト先生の授業風景。 |
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寮委員会 昭和15年、駒場の寮委員会。 |
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勤労動員 昭和19年、勤労動員で出発する寮生をおくる安倍校長。 「嗚呼玉杯」を合唱したのち各班は作業地に向かって出掛けてゆく。 |
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授業風景 酒井善孝先生の英語の時間。昭和20年頃。 |
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