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大正期 大正1(1912)年〜大正15(1926)年 |
□ 第一高等学校(大正期) |
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実験室 動植物の実験室。和服を着て実験している姿が目立つ。大正初期。 |
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明・和2寮落成 大正8年、明・和の新寮が完成した。和寮の命名は生徒から募集して選ばれたものである。 これで合わせて8寮となった。 |
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本郷の倫理講堂 本郷の倫理講堂には、文を代表する菅原道真と武を代表する坂上田村麻呂との肖像画が正面に掲げられていた。 駒場の倫理講堂でも同様。 |
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本郷の嚶鳴堂 本郷の嚶鳴堂。ここで多くの行事が執り行われた。 |
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一高平面図 本郷時代の第一高等学校平面図。 揃った8寮が整然と並んでいる。 |
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菊池寿人校長 大正8年、一高校長に就任。13年まで在職。 |
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寮の生活 旧寮3階の寝室。無断外泊はやかましく、「不時点検」という制度があった。 また、深夜を揺るがすストームも絶えなかった。 |
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自習室 自習室。ひとつの机を4人で使う。机の中央に素朴な本箱。電燈がひとつ。駒場でも同様。 |
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関東大震災起こる 大正12年、関東大震災が起こって、東京は灰燼に帰してしまった。 無残に焼失した本郷三丁目付近の被害。 |
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時計台爆破作業 関東大震災による被害で、 一高の象徴である時計台を爆破せざるを得ない仕儀に立ち至った。 |
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杉敏介校長 大正13年、一高校長に就任。昭和4年まで在職。 斗酒を辞せず豪放にて洒脱、全校の輿望を集めた。 大きな事件の決断に速なると共に、細かいことにも配慮の行き届く人であった。 |
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輝かしい端艇部 大正13年の瀬田川における一高三高戦。右が一高クルー。 |
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岩元禎先生 ドイツ語・哲学の名物教授。 一高出身の名士で落第点をもらった人は少なくないだろう。 |
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菅虎雄先生 ドイツ語の名物教授。いつも着物姿で書道の大家でもある。口癖から「同時野郎会」が生まれた。 |
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寮の生活 夜10時になると自習室の灯は消される。あとはローソクの灯で勉強する。 「ロー勉」と呼ばれた。 |
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