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昭和前期 昭和1(1926)年〜昭和10(1935)年 |
□ 第一高等学校(昭和前期) |
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全寮晩餐会 毎年6月半ばに第一学期全寮晩餐会が開かれる。 頻繁に行われたコンパであるが、コンパの最も大規模なものが全寮茶話会であり、 この全寮晩餐会であった。写真は昭和4年の本郷嚶鳴堂での晩餐会。 |
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森巻吉校長 昭和4年、一高校長に就任。12年まで在職。 最大の仕事は、本郷から駒場への移転完成であった。 この困難な仕事を隼の如き眼光と果断な実行力をもって早急に見事に完了した。 |
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総代会 総代会−自治寮開設以来の立法機関。すなわち寮の規約は大小となくこの総代会で議決された。 甲論乙駁で活発に行なわれた。昭和5年。 |
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運動会 毎年5月下旬の土曜日には陸上運動部主催の春季運動会が挙行された。昭和5年の春季運動会風景。 |
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組選 組選とは一、二、三年生を縦につなぐ各組の対抗戦で、野球、端艇、陸上運動、撃剣、柔道の試合が行われた。 選手は一年生に限られ、二年生はコーチ、三年生は応援に廻る。 ボート組選、尾久艇庫前に勢ぞろいした昭和7年理二組選選手たち。 |
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昭和初期の紀念祭 昭和6年、本郷嚶鳴堂における紀念祭イブの祝賀式。西沢佶委員長の演説。 |
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陸運 京都賀茂トラックでの対三高陸運戦。 リレーを除く全種目に優勝し、対三高戦にもまれな輝かしい勝利を収めた。 |
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庭球 庭球戦。7対2で一高勝つ。 |
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端艇 対三高戦は四部を中心に最も重要な年中行事であった。 昭和9年の第10回対三高競漕。一高15艇身で勝つ。 |
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野球 昭和9年西京極市設球場での対三高戦。投手由谷・捕手広岡のバッテリーで19対0で大勝した。 この野球戦の勝利で、この年四部全勝。「四部全勝歌」できる。 |
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さらば本郷、最後の紀念祭 昭和10年2月、本郷最後の紀念祭が行なわれた。 名残惜しむ人々が校門の前におしよせた。 |
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本郷最後の寮歌祭 昭和10年6月、本郷最後の寮歌祭が西寮前庭で行なわれた。 寮生たちは篝火をかこみ夜を徹して歌い続けた。 |
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訣別式 向陵最後の訣別式。小田村委員長登壇して切々たる向陵への訣別の辞を朗読する。 そして最後の玉杯を合唱する。 |
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駒場へ移転 昭和10年、本郷から駒場へ移転。護國旗を先頭に正門を出る。 本郷通りには別れを惜しむ人々が道の両側に居並び、手を振って送ってくれる。 |
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向陵碑 向陵の地を永久に記念するため正門横に向陵碑が建てられ除幕式が行なわれた。 |
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向陵碑の碑文 向陵碑裏側に刻まれた碑文。安井小太郎教授撰、菅虎雄教授書。 |
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