明治7(1874)年7月10日
明治26(1893)年
明治31(1897)年
明治31(1897)年12月
明治32(1898)年5月
明治35(1901)年
明治38(1904)年
明治39(1905)年
明治42(1909)10月
大正1(1912)年9月
大正4(1915)年
昭和20(1945)年9月11日
平成24(2012)年 |
池田彦三郎・ふさ夫婦の長男として、駿東郡印野村(現御殿場市印野)に生まれる*。幼名源作。生家の池田家は代々、印野村の山林奉行を務めていた。少年期に印野村の私塾『立志舎』で学び、のちに松山藩の出身の医師、藤掛正直の書生となる。
[藤掛は明治10(1877)年、静岡県東部で発生した伝染病(コレラ)の調査・治療のため、東京の衛生省から出向を命じられ、主に三島町(現三島市)に滞在して活動を行っていた。後年、藤掛は三島町の町役人である野口家の娘と結婚し、中田町で藤掛医院を開業。源作の父彦三郎は印野村に伝染病調査に赴いていた藤掛と面識があった。医師がいない印野村の状況を鑑みて、源作を医師にすべく、藤掛家の書生とした。]
第一高等中学校医学部(現千葉大学医学部)入学。
第一高等学校(在学中に学校名変更)医学部を卒業。
源作から章に改名。韮山病院・沼津駿東病院などに勤務。
藤掛正直長女・まゑと結婚** 。
藤掛正直が脳卒中にて急逝。
日露戦争勃発、軍医として応召(日本国内で勤務)。
伊豆病院院長に着任。伊豆病院閉院後、藤掛医院を継承。
妻まゑ永眠(享年28歳)。
藤掛正直次女こうと再婚。
芝町(現三島市芝本町)に池田病院を開院***。
以降、三島町議会議員・静岡県議会議員・三島町議会初代議長・静岡県産婆会会長など歴任。
永眠(享年71歳)。墓所は御殿場市印野の生家内にあり。
一高医学部時代の受講ノートが発見される**** 。 |