1874(明治 7)年 |
12月27日 |
東京外国語学校の英語科を独立させ「東京英語学校」設置 |
1877(明治10)年 |
4月12日 |
東京英語学校と東京開成学校普通科を併合して「東京大学予備門」と改称 |
1885(明治18)年 |
8月12日 |
東大予備門、東京大学から独立して文部省直轄となる |
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8月14日 |
東大予備門、東京法学校予科と東京外国語学校仏独両語学科を合併 |
1886(明治19)年 |
4月 1日 |
東大予備門、工科大学予科を合併 |
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4月29日 |
東大予備門、中学校令に基づき「第一高等中学校」と改称 |
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5月12日 |
帽子の徽章(柏葉と橄欖)を決定 |
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11月30日 |
本校の学区は東京府、神奈川、埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木、愛知、静岡、山梨、長野 各県と決まる |
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12月20日 |
本科および予科の第一外国語を英語とする |
1887(明治20)年 |
1月29日 |
第一高等中学校規則定む |
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9月27日 |
本校医学部を千葉県千葉町に設立(県立千葉医学校を更新)
後分離 千葉医学専門学校⇒千葉医大⇒千葉大医学部 |
1888(明治21)年 |
9月19日 |
学科課程を改正して一部(主として大学で法科、文科専修志望者)
二部(同工科、理科)三部(同医科)とする |
1889(明治22)年 |
2月 5日 |
護國旗を制定 |
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3月22日 |
本郷区向ヶ岡弥生町に新校舎落成、一ツ橋から移転 |
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5月 9日 |
教頭(兼法科大学教授)木下廣次、校長に就任 |
1890(明治23)年 |
2月24日 |
木下廣次校長自治制を許す旨訓示、生徒一同自治制受諾を決定 |
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3月 1日 |
東・西2寮を開寮 |
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3月14日 |
自重・親愛・辞譲・清潔の四綱領を目指す寄宿寮規定を制定 |
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9月11日 |
南・北2寮を開寮 |
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10月24日 |
一高校友会結成 |
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11月26日 |
「校友会雑誌」創刊 |
1891(明治24)年 |
1月 9日 |
内村鑑三の「不敬事件」おこる |
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3月 1日 |
第1回紀念祭 |
1893(明治26)年 |
6月19日 |
嘉納治五郎、一高校長に就任 |
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9月20日 |
久原躬弦、一高校長心得に就任 |
1894(明治27)年 |
9月11日 |
高等学校令により「第一高等学校」と改称 |
1895(明治28)年 |
6月28日 |
入学規定を改正し、他高等学校学区の尋常中学卒業生も一部入学を許す |
1897(明治30)年 |
4月--日 |
学区制撤廃 全国どこの中学からも入学可能となる |
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7月 4日 |
南北寮分割事件おこる |
1898(明治31)年 |
7月20日 |
沢柳政太郎、一高校長に就任 |
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11月24日 |
狩野亨吉、一高校長に就任 |
1899(明治32)年 |
9月11日 |
清国留学生8名聴講生として入学 外国人の高等学校入学の始り |
1900(明治33)年 |
9月10日 |
新築の南・北・中の3寮落成し、この日開寮 |
1901(明治34)年 |
1月 8日 |
寄宿寮規定改正「本校生徒ハ在学中寄宿寮二入ルべキモノトス」全寮制実現 |
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3月 1日 |
第11回紀念祭 寮歌「春爛漫の花の色」を発表 |
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4月 1日 |
一高医学部、独立して千葉医学専門学校となる |
1902(明治35)年 |
3月 1日 |
第12回紀念祭 寮歌「嗚呼玉杯に花うけて」を発表
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4月25日 |
高等学校大学予科学科課程を改正し、一部甲(英法,英政治、英文)
一部乙(独法、独文)一部丙(仏法、仏文)二部甲(工)
二部乙(理、農、薬)三部(医)とする |
1903(明治36)年 |
2月--日 |
寄宿寮会堂を嚶鳴堂と称す |
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5月22日 |
藤村操「厳頭の感」の一文を遺し日光華厳の滝に投身 |
1904(明治37)年 |
6月 24日 |
一高「寮歌集」初版発行 |
1905(明治38)年 |
3月 1日 |
前年落成の新寮を乃木将軍に因んで朶寮と称し落成式を挙行 |
1906(明治39)年 |
9月 5日 |
今村有隣、一高校長に就任 |
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9月28日 |
新渡戸稲造、一高校長に就任 |
1910(明治43)年 |
2月--日 |
一高楽友会復活 |
1911(明治44)年 |
2月 1日 |
徳富蘆花「謀叛論」講演 |
1913(大正 2)年 |
4月22日 |
瀬戸虎記、一高校長に就任 |
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6月16日 |
「向陵誌」を刊行 |
1919(大正 8)年 |
1月21日 |
旧東寮に代わって新寮2棟落成し、東寮・和寮と命名 |
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9月10日 |
菊池寿人、一高校長に就任 |
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12月26日 |
寮生、自炊制度を開始。30年来の賄請負制度の廃止 |
1920(大正 9)年 |
2月20日 |
寄宿舎2棟を新築、西寮・明寮と命名 |
1921(大正10)年 |
4月16日 |
新高等学校令による高等科の文科,理科生徒入学
この年から4月 新学年開始となる |
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6月--日 |
一高・東大間で敷地交換(本郷⇔駒場)の交渉始る |
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12月12日 |
寮委員、弁論部合同主催で校風問題演説会ひらく |
1922(大正11)年 |
6月 1日 |
「向陵時報」(一高寄宿寮の寮内新聞)創刊 |
1922(大正11)年 |
12月--日 |
偽一高生逮捕監禁問題発生 |
1923(大正12)年 |
2月 9日 |
生徒大会で校長菊池寿人、紀念祭イ―ヴで起きた無銭飲食事件等の不祥事への訓示 |
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9月 5日 |
関東大震災のため9月中臨時休校を決定 |
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12月16日 |
「向陵時報」に代え「寮報」を創刊 |
1924(大正13)年 |
3月 5日 |
駒場移転の可否を生徒大会にかけ、移転の決議文を満場一致可決 |
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7月30日 |
全国高等専門学校野球第1回大会、一高優勝す |
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9月13日 |
杉敏介、一高校長に就任 |
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9月26日 |
一高・東大間の敷地交換協定調印 |
1925(大正14)年 |
5月27日 |
一高同窓会、正式に発足 |
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8月 1日 |
「一高同窓会報」創刊 |
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8月11日 |
特設予科規定を制定 おもに清国留学生のため |
1929(昭和 4)年 |
7月 2日 |
森巻吉、一高校長に就任 |
1930(昭和5)年 |
1月17日 |
「寮報」を廃刊 新「向陵時報」創刊 |
1932(昭和 7)年 |
6月 1日 |
特設高等科新設 定員文・理科各30名 これにより中国人留学生の教育は専ら一高が担当する |
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10月30日 |
この日を期して教育勅語奉読式を挙行(以後毎年行なう) |
1935(昭和10)年 |
2月 1日 |
向陵碑を遺跡記念として建設、この日除幕式 |
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9月14日 |
駒場移転 南・中・北の3寮を開く |
1937(昭和12)年 |
4月22日 |
東京帝大教授医学博士橋田邦彦、一高校長となる |
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7月 1日 |
特設高等科に付属予科を設置 |
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11月13日 |
菅虎雄教授に一高門札の揮毫並びに篆刻を依頼 |
1938(昭和13)年 |
2月 1日 |
恒例の寄宿寮紀念祭を式典だけとし、全費用を国防費として献金 |
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7月 9日 |
学校集団勤労作業を実施 |
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7月25日 |
一高同窓会館竣工 |
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9月20日 |
ヒットラーユーゲント一行中15名、一高を訪問し交歓会 |
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11月 1日 |
一高創立60周年記念式典を挙行 |
1939(昭和14)年 |
3月31日 |
「第一高等学校六十年史」刊行 |
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9月 6日 |
明寮を開寮 |
1940(昭和15)年 |
9月 4日 |
京城帝大教授安倍能成、一高校長に就任 |
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12月 5日 |
「校友会雑誌」371号発行をもって以後「護国会雑誌」と改称 |
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12月12日 |
安倍能成校長、「教職員の指揮ある限り」裏門通行を認める |
1941(昭和16)年 |
3月31日 |
校友会を護国会に改組、一高護国会規則を定む |
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4月--日 |
新入生を対象に全般的修練を実施 |
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8月--日 |
報国隊を組織、実地演習を実施 |
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10月16日 |
大学、高校などの修業年限6ヵ月短縮決定 18年3月卒業予定者は17年9月卒業となる |
1942(昭和17)年 |
8月21日 |
中学,高校及び大学予科の学年をそれぞれ4年、2年に短縮決定 |
1943(昭和18)年 |
6月 1日 |
一高護国会の組織を改編、国防訓練部を鍛練部に併合 |
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9月21日 |
大学・高専文科系学徒の徴兵猶予停止決定 |
1944(昭和19)年 |
5月31日
6月25日 |
「向陵時報」第157号発行をもって一旦終刊
「護国会雑誌」第7号発行・以後永久休刊 |
1945(昭和20)年 |
5月25日 |
空襲により施設の一部焼失・損壊 |
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8月28日 |
駒場で授業再開 校舎を焼失した東京高校に明寮を貸与 |
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10月 1日 |
陸海軍諸学校からの転入学試験実施 軍関係90外国外地引揚者64名入学 |
1946(昭和21)年 |
1月13日 |
一高校長安倍能成、文相に就任 |
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2月 9日 |
天野貞祐、一高校長に就任 |
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2月29日 |
高校修学年限3年制度復活 |
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6月22日 |
「向陵時報」復刊(代158号) |
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9月 2日 |
第2学期開始にあたり「全寮制復活宣言」 |
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9月28日 |
総代会で「正門主義」が終止符を打つ |
1947(昭和22)年 |
12月8日 |
全国高校校長会議 旧制高校の特色を残した前期大学実施要望を全会一致で決定 |
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12月16日 |
一高教授会 新制大学成立後は東大へ合流することを決定 |
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12月19日 |
教育刷新委員会(南原委員長)前期大学案を否決 |
1948(昭和23)年 |
2月 7日 |
一高校長天野貞祐辞任 麻生磯次校長に就任 |
1949(昭和24)年 |
6月30日 |
一高は「東京大学第一高等学校」となる 矢内原忠雄校長に就任 |
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7月31日 |
麻生磯次、東京大学第一高等学校長に就任 |
1950(昭和25)年 |
2月1日 |
最後の第60回紀念祭 |
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2月5日 |
「向陵時報」第166号発行 以後永久休刊 |
1950(昭和25)年 |
3月24日 |
卒業式を行わない永年の慣例を破り倫理講堂で卒業式、夕方「第一高等学校」の門札を外す |