駒場博物館「創造の広場イタリア」出展作品であるIdentità zeroに続いて、城戸がわれわれに問いかける作品はライブ・パフォーマンスというかたちで提示される。もちろんそのライブとは括弧付きのものでしかない。主体はテレビの画面内に留まり、専ら自らについて語る。そうしてライブ(生)という状態がまやかしであることをおのずから明かしてしまう。語り、そして博物館という構造物(モノ)と戯れ、動く。空間には裏と表があり、城戸は自由に行き来する。その動きにわれわれはもはや「ライブ」の裏、「死」しか見ず、主体を探すという絶望を越えてテレビ受像機の前で戯れを共有するしかない。 |
Koichi Kido, Identità zero, video-installation, 2007 |