一高と一高自治寮寮生及び一高同窓会が作成した数多い資料と書籍とは東大教養学部に寄贈され、駒場図書館と駒場博物館に所蔵されており、整理中である。 また一部の資料は下表のように各図書館に所蔵または寄贈され、既に公開されているものもある。 なお、
後世これらの資料を利用しやすくするために、 一部の史料についてはCD-ROM及びDVDが作成されている。 各資料についての説明は表の次に順次記載されている。 所蔵先一覧表
注記:校友会雑誌の記号 # は「一部欠落あり」を示す ■ 第一高等学校六十年史 1939年(昭和14年)発行 一高創立六十周年記念事業として学校が刊行した。 執筆は藤木邦彦(当時一高講師、後に東大名誉教授)、峰岸義雄の両氏で、学校がまとめた唯一の歴史書である。 東京英語学校以来の法令、通達、学科課程などの詳細を記述し、特に1888年(明治21年) 10月の木下教頭が全生徒を集めて行なった歴史的な演説の全文が記録されている。 平成17年春に第一高等学校六十年史のCD-ROMが作成され検索が便利になった。 画像の例を示す。(2005.5.21追加掲載) ※サムネイル画像をクリックすると大きな画像を表示します。 ■ 向陵誌 1913年(大正2年)〜1984年(昭和59年) 一高の寮の正史とされ、発行者は第一高等学校寄宿寮である。 1913年(大正2年)に第1回初版が刊行、1920年(大正9年)、1925年(大正14年)、 1930年(昭和5年)、1937年(昭和12年)の5回刊行された。 1937年版は2巻に分冊、本郷全史がこれで完結した。 その後一高同窓会が1984年(昭和59年)に、この1937年版を復刻刊行し、 さらに駒場移転から廃校に至るまでの駒場の歴史を記した 「向陵誌・駒場編」とその別冊「一高応援団史」を同時に刊行した。 1984年刊行は全てを通して4,800ページになる。 向陵誌は「自治寮略史」と各運動部や弁論部、文芸部などのほか基督教青年会、短歌会、射撃会などの部会史で構成されている。 部・会は70近くあった。 1984年刊行の向陵誌全3冊は後述の応援団史とともに1枚のCD-ROMにおさめられ、 前述の第一高等学校六十年史同様に検索が便利になった。 ※サムネイル画像をクリックすると大きな画像を表示します。 ■ 一高応援団史 1984年(昭和59年)発行 向陵誌・駒場編の別冊として奥田教久(昭和13年理甲)が執筆し、同窓会が発行した。 運動部、対外競技、応援団の歴史を軸とし、一高の良い点も悪い点もそのまま書いた。 前述の向陵誌と同じCD-ROM1枚におさめられている。 ※サムネイル画像をクリックすると大きな画像を表示します。 ■ 第一高等学校自治寮六十年史 1994年(平成6年)発行 一高自治寮立寮100年記念事業として企画され、1994年に刊行された。 最終的正史を企図して6名が分担執筆した。別冊の「年表」は特に利用価値がある。 なお、このCD―ROMが作られており、その紙面の例を示す。 ※目次と寮生の読書調査のページはクリックすると大きな画像を表示します。 ■ 校友会雑誌、護国会雑誌 1890年11月(明治23年)〜1944年6月(昭和19年) 自治寮開設の1890年10月生徒と教職員の会費徴収による校友会が、「文武の諸技芸の奨励」を目的として発足した。 文芸部とボート部、ベースボール部など8運動部が創設され、 文芸部は毎月1回「校友会雑誌」を発行配布することが義務づけられ、1944年6月までに特集号と号外を含み全部で383号がはっこうされた。 戦時中、最後の7冊は「護国会雑誌」と改称した。 雑誌の内容は教官・寮生の論説、評論、研究論文、エッセイ、詩歌、小説、運動部関係記事、総代会記事等を含み、後に文壇で活躍した著名な筆者も多く、明治、大正、昭和の三代にわたる当時の思潮を代表する貴重な文献として価値が高い。 東大の駒場図書館にほとんど全部揃っている。 new ! 「校友会雑誌・護國雑誌」は日本近代文学館と八木書店(千代田区神田小川町3−8 03-3291-2961) によるDVD化が完了し2006年1月に発売されました。 ※校友会雑誌のページはクリックすると大きな画像を表示します。 ■ 向陵時報・寮報 1922年(大正11年6月1日)〜1949年(昭和24年2月5日) 校友会雑誌が次第に文芸誌的になってきて、新たに寮内新聞の「向陵時報」が創刊された。 1923年(大正12年)から1929年(昭和4年)までは「寮報」と改称し、また「向陵時報」に戻った。 全部で約220号が発行された。 この史料のマイクロフィルムが作成されており、オリジナル版と複写製本版とともに東大の図書館に移管された。 ■ 一高同窓会会報 1925年(大正14年8月1日)〜1943年(昭和18年7月10日) 雑誌形態で年2乃至3冊発行、全49冊でCD―ROMが出来ている。その画面の例を示す。 ※同窓会設立趣意書のページはクリックすると大きな画像を表示します。 向陵駒場同窓会会報(昭和42年1月1日第1号〜昭和47年10月1日第70号)と一高同窓会会報(昭和47年12月1日〜現在に至る)はまだマイクロフィルム、CD-ROM等はないが製本したものが幾つかの図書館に存在する。 ■ 向陵駒場 1959年(昭和34年10月)〜1972年(昭和47年) 1957年(昭和32年12月)に東大教養学部と合同の向陵駒場同窓会が発足し同窓会雑誌「向陵駒場」が発行された。 年2乃至3回の発行である。 この全35冊も1枚のCD-ROMにおさめられている。 ※サムネイル画像をクリックすると大きな画像を表示します。 ■ 向陵 1972年(昭和47年11月)〜2004年(平成16年) 向陵駒場同窓会から再び一高同窓会に戻ったその月以来毎年2回一高同窓会雑誌として発行され、2004年秋の第99/100合併号をもってその歴史を閉じた。 64冊全部を合冊製本したものは冒頭記載の図書館に寄贈され、CDも作成されている。 ※サムネイル画像をクリックすると大きな画像を表示します。 ■ 北京一高会会報「嚶鳴」合本 北京一高会は戦前北京在勤の一高出身の官吏、実業家(大部分は日本人)によって数回開催されたが戦後に1,2回行われたあと消滅した。 1981年に北京駐在の加藤吉弥公使の招待会に一高の柳田誠二郎同窓会長も出席し在北京の一高同窓30余名が集まって、 爾来今日まで続く北京一高会の発足となった。 当初の時期は文革の余波で中国人留学生は集まりにくかったが、1985年5月15名の留学生が集まって以後毎年会合が行われるようになり、 初期は大使館に多数いた一高出身者が参加したが、次第に留学生が主体となって今日に到っている。 会報として発行されている「嚶鳴」は2006年2月で既に69号を算しているが、 このたび1995年3月創刊号以来2005年12月の65号までの全てと岩波書店の「図書」に連載された「朱紹文さんに聞く」その他を含めた合本が作成された。 1935年以来一高特設高等科に学んだ中国留学生は429人で、その青春の回想を読むことができる。 2007年4月発行の第70号で終わり2冊にわけて製本したものが一部の図書館にある。 ※サムネイル画像をクリックすると大きな画像を表示します。 ■ 一高図書 一高の図書館が開設以来集めてきた4万余点の図書は東大駒場図書館に移管された。 洋書は13,966冊 和書は12,788冊 和装本は17,820冊を算する。 リストのサンプルを添付する。(このリストは丸善株式会社の作成です) その他一高同窓会が所蔵していた同窓生の著書、訳書約1000冊も移管されている。 ※サムネイル画像をクリックすると大きな画像を表示します。 ■ 一高寮歌集 一高の寮歌集は、その初版が発行された明治37年6月以来、各紀念祭ごとの当選作と大 学在学中の卒業生からの寄贈歌とを増補しながらほぼ毎年発行されてきたようである。 しかし、発行部数はそれほど多くはなく、元来が寮生の日常参照用で保存を前提にしたも のではなかったこともあって、その大多数が散逸し、保管されているものは僅かしかない。 以下に掲げる版も、何らかの資料に引用されるなどによってその発行が確認されているも のであるが、既にその所在がわからなくなっているものも多い。 この掲載を機に多くの 情報が得られれば幸いである。 寮歌集 1.明治37年6月24日 校友会雑誌第百三十八号号外として第一高等学校校友会から発行。 表題『寮歌集』の文字は、一高教授であった青山・塩谷時敏先生の揮毫になり、この文字は大正12年まで用いられた。 初版寮歌集の収録数は、寮歌、寄贈歌45篇、付録として運動部部歌3篇、(端艇部、野球部、水泳部)。 2.明治38年 昭和50年及び平成16年発行の寮歌集に写真が掲載されている。 (ただし、この写真は明治38年版と明治41年版が左右逆で、その上、38年版の表紙に図案が描かれ、 また41年版の寮歌集の文字が活字であることから、これらは私家版の可能性がある。) 3.明治41年 写真について同上。 4.大正6年頃 写真について同上。なお、この版の現物は表紙が散逸していたため、正確な出版時期は不明。 5.大正11年 6.大正13年11月 関東大震災の際、紙型を焼失したため全面的に改版。表題の文字はあらためて塩谷元教授に揮毫を依頼。 この文字は平成16年の最終版(昭和30年の有志版を除く。)に至るまで用いられている。 初版以来の横開きポケット版を現在と同じ縦型A5サイズに変更。 7.昭和8年2月 8.昭和9年 略譜による最後の発行 9.昭和10年2月 一高寄宿寮発行。 本郷から駒場移転を期に、従来の略譜を五線譜に変更するとともに、 118曲について、当時歌われていたように譜面を書き改めた。 また、大規模な作詞、作曲者調査を行い、従来不明であった者のほぼ半数を明らかにすると言う成果をあげた。 10.昭和14年1月 一高寄宿寮発行。 11.昭和18年 同上。 戦前における最後の発行。 12.昭和21年 理科端艇部発行?。 戦災による昭和18年版の紙型消失、用紙不足等のため、譜面抜きで歌詞のみ約200曲の抜粋版。 一高消滅に至るまで増補は行われなかった。理科端艇部は寮歌集の管理部署である。 13.昭和31年3月1日発行 既に一高はなく同窓会も休眠の中で有志により編集された抜粋版。 寮歌集の3字は、杉敏介元一高校長の揮毫。 14.昭和42年11月 向稜駒場同窓会発行。一高の寮歌355篇(昭和18年版を写真製版したものを中心とする。)に加え、 東大教養学部19篇、東大学生歌・応援歌22篇を掲載している。 一高寮歌について昭和10年版において書き改められる前の原譜37曲を収録、表紙文字は大正3年の塩谷元教授のもの。 また、歌詞のみの一高寮歌抜粋ポケット版も同時に発行。 15.昭和49年11月 一高同窓会発行。ポケット歌詞版。 16.昭和50年10月 一高同窓会発行。未収録の寮歌、準寮歌8篇を掲載。 昭和10年版において書き改められた曲の原譜の全て(118曲)を掲載。 なお、この版の編集の際、参照した明治38年、明治41年、大正6年頃、大正11年、大正13年、 昭和9年、昭和10年の各版は、現在は所在不明。 また、この版では、歌詞部分は全面的に新たに組替え、譜の部分は戦前版のうち鮮明なものを選んで写真製版した。 17.平成16年11月 一高同窓会発行。この寮歌集は一高の歴史と伝統を後世に伝えるための記念事業の一環として企画、刊行されたもの。 戦時中の寄贈歌2篇を加えて総計366篇、及び一高消滅後に作曲された参考譜1曲を新規収録。 また、昭和50年以降の知見に基づく作詞・作曲者名の訂正追加とともに、 この版が一高同窓会にとって最終版であることに鑑み、 64曲について一高終焉前後に歌われていた歌い方への譜面の書き換えとこれらの旧版譜の収録を行った。 ※サムネイル画像をクリックすると大きな画像を表示します。 ■ 第一高等学校寄宿寮寮歌 解説 2004年(平成16年)11月1日発行 第一高等学校記念事業の一環として、歌い継がれた約360曲の寮歌全てについてその歌詞の大意、構想、特色 ならびに歴史的背景等を解説するとともに古語、難解語句につき解釈を試みた一巻の解説書が安川定男主査のもとに万葉、 平安から明治、大正に到る国文学、そして中国漢文学の専門学者数人による3年余の作業の結果771ページの大冊として完成した。 ※サムネイル画像をクリックすると大きな画像を表示します。 ■ 卒業年次別文集 入学または卒業から50年を記念して発行されるものが多い。 1933年(昭和8年)入学の写真集が最初で、多くは卒業50年記念文集である。 卒業生文集は下記の22冊が発行されている。 1)大正8年卒業 柏影回顧 1941年8月発行 2)大正8年卒業 柏影回顧(4) 1972年3月発行 3)昭和7年卒業 相別れて五十年(向陵生活の思い出):1982年02月発行 4)昭和8年卒業 一高を出て五十年:1983年発行 5)昭和10年卒業 再び語ることやある:1985年01月発行 6)昭和11年卒業 惜春譜 卒業五十年:1988年04月発行 7)昭和12年卒業 本郷から駒場へ(卒業五十周年文集):1987年05月発行 8)昭和13年卒業 新墾(第一高等学校卒業半世紀文集):1992年04月発行 9)昭和15年卒業 弥生道(一高卒業五十周年記念文集):1990年04月発行 10)昭和16年卒業 嚶鳴(第一高等学校昭和十六年卒業記念文集):1992年04月発行 11)昭和17年卒業 若駒のいななく丘:1992年12月発行 12)昭和17/9卒業 碑(いしぶみ):1995年10月発行 13)昭和17/9卒業 卒業六十周年に想う 2002年10月発行 13)昭和18年卒業 篝火(一高入学五十周年記念文集):1991年04月発行 14)昭和18年入学 風荒ぶ曠野の中に:1995年09月発行 15)昭和19年卒業 星霜四十年:1982年12月発行 16)昭和19年卒業 続星霜四十年:1985年11月発行 17)昭和19年卒業 学徒出陣 星霜五十年:1994年09月発行 18)昭和19年卒業 続星霜六十年:2002年10月発行 19)昭和20年前後卒業 運るもの星とは呼びて 終戦前後の一高:1991年10月発行 20)昭和23年卒業 春尚浅き:1999年04月発行 21)昭和24年卒業 ひたぶるに求めてしもの:1995年01月発行 22)昭和25年卒業 嗚呼向陵 わがたましひの故郷:2001年07月発行 ■ 一高野球部関係文献 一高野球部を語る文献で刊行されたものは、それほど多くはない。 いわば、正史としては、現役生徒が記した「向陵誌」の他には、下記の(1)、(2)がある。 (2)は、福井昭興の労作で、 明治初年からのスコアまで網羅して余す所がない貴重な記録である。 野球部出身者によるものは、歴史というよりも別の観点からの2冊があり、 うち(6)については日本への野球の伝来を確定する重要な研究であり、 この考証に基づいて東京神田錦町三丁目にある学士会館敷地に、 昨2003年12月、記念モニュメントが建設された。 (7)の内村氏は1918年早大・慶大・三高・学習院を破った中興の祖。 学生野球についての見事な見識が披瀝されている。 飛田氏,、立花氏は時代こそ違え早大の先輩。いずれも一高野球を評価してくれている。 また、服部氏は戦後間もない頃、両校に関係ないにもかかわらず、精力的に戦史を纏めてくださった奇特な人物。 “野球の名付け親“と”正岡子規“の関係で(11)から(13)3冊がある。 (14)も一高野球に関して多くのページを割き、その先駆的役割を評価している。 (15)は、野球部のみならず、写真を中心にして一高を語ってくれている。 (以下、※は写真、括弧内は発行年月日) ※ (1)「野球部史附規則」 校友会雑誌号外第1号(明治28年2月22日) 「野球部史」 校友会雑誌号外(明治36年(1903)2月28日) ※ (2)「野球部記録」 一高野球部編集(福井昭興担当、1999.3月) (3)「向陵誌・第二巻 野球部史」 (4)「向陵誌・駒場篇 野球部史」 (5)「 同 ・応援団史」(奥田 教久担当) ※ (6)「日本野球創世記」 君島 一郎著(1972.11.30) ※ (7)「鑑三・野球・精神医学」 内村 祐之著(1973.10.22) ※ (8)「学生野球とはなにか」 飛田 穂洲著(1974.7.25) ※ (9)「日本野球の原点をさぐるーー明治中期「一高野球」の形成とその特質」 立花 雄二著(2000.11.10) (10)「一高三高野球戦史」 服部 喜久雄著(1954.4.1.) ※(11)「野球の名付け親 中馬庚伝」 城井 睦夫著(1988.11.30) (12)「正岡子規 ベースボールに賭けたその生涯」 城井 睦夫著 (1996.9.19) ※(13)「子規とベースボール」 神田 順治著(1992.12.30) ※(14)「野球百年」 大和 球士著(1976.4.15改定新版発行) (15)「嗚呼玉杯に花うけて 第一高等学校八十年史」 講談社編著・発行 ※クリックすると大きな画像を表示します。 *(16)「校友会雑誌号外第1号」 明治28年2月22日 野球部史附規則 べーすぼーる部史 附録 規則 「校友会雑誌附録 野球部大勝附録ー横濱遠征記事 明治29年6月20日 「校友会雑誌号外第2号」 明治36年2月28日 野球部史 明治27,28,29,30, 31,32,33,34,35年 野球部部歌 野球規則及びその変遷 なお校友会雑誌では107号(明治34年6月20日)までは「べーすぼーる部報」 それ以後は野球部報が掲載されている。 大正7年の黄金時代復活ー全国制覇の 記事は校友会雑誌には記載がない。 ■ 写真図説「嗚呼玉杯に花うけて」 1972年(昭和47年)発行 「第一高等学校八十年史」の副題がついている。 一高同窓会が協力し、講談社が出版した。豊富な写真を集めている。 ■ 一高同窓会小史 一高同窓会小史 一高同窓会編纂 園部達郎監修 大正14年5月27日発足してから、戦後の空白、昭和32年12月10日の向陵駒場同窓会、 昭和47年11月1日再び一高同窓会への改組を経て平成16年11月1日の開学130年記念大会にあわせて、 昭和47年以来の組織に幕を引くまでの80年史を綴った。 その本文に加えて、名簿の編纂と発行、戦前の講演会、座談会、戦後の懇話会、談話会、寮歌と寮歌集発行、 募金と各種一高会についてまとめた資料を添付する。 本史料はCD-R,FDを原本として保存し、コピー印刷、製本をしている。 ※クリックすると大きな画像を表示します。 ■ 一高にあったスクエアピアノ 明治18年に音楽取調掛から東京大学予備門に寄贈され、その後第一高等中学校、第一高等学校で保存(恐らく明治26年に校友会音楽部に移管されその後校友会楽友会、護国会音楽班が保管)昭和24年の学制改革で一時行方不明となったピアノが昭和46年に音楽取調掛の後身東京藝術大学に満身創痍の状態で復帰し、平成20年に復元されて、元の姿で東京藝術大学に保存されております。 以下の項目1)2)3)をクリックすればそれぞれの記事と画像をご覧頂けます。 なお、2)は東大教養学部報委員会から、3)は(社)日本ピアノ調律師協会からそれぞれ掲載のご了承を頂きまして感謝申し上げます。 |