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資料委員・会友 熊谷 晃


 一高柏葉章はまことに美しい。 その魅力が一高生の誇りと愛校心の拠所の一つとなっていることは疑いを容れない。 高木彬光(昭15理乙)は推理小説「輓歌」の中で「いかに星と碇が睨みを利かす現在でも、 柏の葉は、それに劣らぬ魅力を持っています・・・」と書き、ある二高OBは、 「・・・一高の柏とオリーブ、二高の蜂、開成中学の・・・徽章は、 他のどこの学校の徽章よりも格段に西欧芸術的で・・・立体感覚を・・・もっている。」(仲威雄『尚志会報』73号) と激賞している(註1)。
 ただ、その魅力を平面図で表すことは、この「立体感覚」のためもあって、かなり難しい。 そもそも正確な図形というものがなく(註2)、柏葉の尖り(稜)の数、橄欖葉の長さなどにさえ違いがあり、 中央の○と橄欖の実との大小、葉脈の太さと曲がり方、全体の膨らみ具合(痩型か肥満型か)、白線との関係、 平面図に置き換えることで生じる歪みなどのため我々が目にする柏葉章は、帽章を別とすれば、実に千差万別である。

(註1)
 一高柏葉章は、「帽章型」と「護國旗型」に大別できる。ここでは、通常前者を指し、 後者を「護國旗章」または「護國旗型柏葉章」と呼ぶものとする。

(註2)
 帽章は、「製式」として「橄欖三葉ノ上ニ柏三葉ヲ重ネ交叉ス」と定められているだけで詳細は分らない (『第一高等學校六十年史』275頁)。


1.帽章型柏葉章

 したがって、帽章を写真に撮ってトレースすることになるが、 立体を平面図にするので歪が生じることは避けられず、かなり恣意的にならざるを得ない。 とくに外側輪郭の差は、全体へ大きく影響する。三角形に近い痩せたものと、 丸に近い太ったものとでは、ほんの少しの違いでも全く印象が異なってくるのである。  その他、実の大小、葉脈の太さなどの違いが美観に与える影響も小さくない。  帽章の寸法はおおむね下図のとおりである。(単位:o)


 応援旗など帽章以外のものを含めると、次の点でもっと基本的な違いがある。

【柏葉の稜の数】

帽章では柏一葉の尖りは九つ(九稜)であり、帽子側章(付図 16 17 18 )、バックル(付図 21 )、 正門の透彫校章(付図 39 40 41 )、記念碑(付図 44 )、出版物(付図 25 26 27 29 30 )応援旗(付図 13 )幔幕(付図 15 ) など同種のものが圧倒的に多い。しかし、バッジ(付図 19 )、メダル(付図 22 23 )、 食器(付図 36 37 )など七稜のものもかなり多い。極端にデフォルメしたものに、 本館玄関上部の透彫(付図 42 43 )や 五稜の紀念祭絵葉書(付図 32 33 )がある。

【橄欖葉の長さ】

 橄欖葉が極端に短く、両側の柏葉と同じ程度しか外に出ていないものもある。 食器にも短いものとそうでないものとがある(下図及び付図 36 37 )。


 帽章では、中心から柏葉先端まで18o、同じく橄欖葉先端まで15oであるから、 あまり短いのは不自然であろう。

【橄欖の実の数】

 橄欖の実は、通常、三葉の左右に1個ずつ計6個ある。
 しかし、ユニフォーム(付図 45 46 48 )では全くないものがあり、また、一中の帽章(後述、付図 03 )にもない。
 逆に護國旗(後述)と、これに類似した端艇部優勝旗(付図 59 60 61 )や行軍演習の聯隊旗(付図 62 63 )には、正確には数えられないものの、左右各20個程 度、計40個ほどもあると考えられる。

【白線】

 服制では、「横章 白線二條巾凡ソ二分」となっている(註3)。 これは1条約6oで、帽章の長径(柏葉の先端から橄欖葉の先端まで)約33oに配すると付図 06 09 10 12 のようになる。 細い線2条の図も良く見かけるが、帽子に合せる限り、白線はかなり太いものになろう。
護國旗の白線も同様に太い。白線の太さで全体の印象はかなり変わってくるので、作図の際は配意を要する。

(註3)豫科1条の白線は三分(約9o)。


2.護國旗章

 一高校旗「護國旗」は、制定直後の明治22年2月11日、 「・・・明治天皇陛下が・・・畏くも護國旗に對して御會釋を賜はりたり」(瀬戸虎記『向陵誌』序) ということもあって極度に神聖視された。駒場移転の際も、「移轉式、即ち、 護國旗の奉移こそ我が一高の正式移轉に外ならず」、「皇室の御事の際以外は門外不出の護國旗を・・・」 (『向陵誌』昭和12年版第一巻、491−492頁)とあり、武装行進は、 万一の場合護國旗を護るため(!)という理由も挙げられたという(澄田智)。

【護國旗章と帽章の違い】

 護國旗は、地が真紅であるのが大きな特徴であるが、旗章も特色がある。
 金糸で刺繍された護國旗章は、帽章と大きく異なり、左右の橄欖葉と実の数が遥かに多く、 中央下部には「葉と実」の代りに交叉した枝が配されている。 柏葉の主葉脈の左右に伸びる支葉脈も、それぞれ5本(帽章は3本)と異なっている(付図 54 56 57 58 )。

【正旗と副旗】

 護國旗には、明治22年2月5日に制定された「正旗」と、昭和15年9月26日 に制定式が挙行された「副旗」とがある。
 副旗は、駒場移転後、「新しく殆ど同じ ――威厳がいくらか劣るように思えるが―― 校旗を造ったのである。・・・本旗の損傷は益々甚だしく、間もなく、 常に副旗のみを使用することになった」(森繁雄、『一高同窓会会報』(平成3年1月1日号)という。
 正旗と副旗には次のような若干の違いが見られる。
@ 旗竿を通す「乳」は、正旗の9に対し、副旗は7である。(写真等で正副を判別するには、これを見るのが一番良いであろう。)
A 左右に分かれた橄欖葉は、正旗が7枚、副旗が6枚。
B 一番下の橄欖葉は、正旗はかなり上に曲がったカーヴを描いているのに対し、副旗のそれは水平に近く横に伸びている。
C 橄欖の実は、正旗は左右、表裏で異なっており、半分葉に隠れたものもあって一概に言えないが 約25個。副旗は 19個。
D 中央下部の枝の端(切口)は、正旗は垂直に近い縦であるのに対し、副旗は水平に近い横になっている。
E 柏葉の両側の尖りは、正旗が鈍角であるのに対し、副旗は鋭角である。
F 「國」の字や、葉脈の曲がり具合など、微妙に違う点が認められる。
 全般に、正旗は、金糸が非常に細く、 細部にわたって神経が行き届いており職人の手作業による芸術品の印象があるのに対し、 副旗は機械による刺繍のような無機質の感じがある。「威厳がいくらか劣る」のは争えない。
 本館アーケード上の護國旗章の浮彫(付図笥)は、正旗に近いと思われる。
 副旗は 縦86cm、横100.5cmで 6対7と かなり正方形に近く、旗竿側に七つの乳、 他の三方に10cmの総が付いている。 中央の旗章は、縦横 約33cmで、 白線の巾は 7cm、2本の白線の間隔は 8cmである。

【護國旗型柏葉章】

 護國旗制定二年後の明治24年、 「彼の柏葉に一中と打抜きて刺?鮮やかなるチヤムピオン・フラッグを新調」 (『向陵誌』第二巻、1143頁)と書かれた端艇部優勝旗は「國」を「一中」に変えた以外は護國旗に酷似している (付図 59 60 61 )。すなわち、中央柏葉の左右には、多くの橄欖葉とその実が配され、下部中央には交叉した枝が置か れている。ただ、柏葉の出張り部分(稜)の先端が尖っておらず、通常の柏の葉の形に なっていることは注目される。このことで、容易に柏・槲と認識でき、また、西欧のオーク の紋章や日本の柏紋との共通性をもつものにもなっている。
 類似のものに、野外演習に用いられた、東西両軍を分かつ紅白2旒の聯隊旗がある。 付図 62 63 は、その写真であるが、細部はよく分らない。


3.一中(第一高等中學校)柏葉章

一中帽章

 「柏葉と橄欖」の帽章が制定されたのは、 東京大學豫備門が第一高等中學校に改称された明治19年5月12日である。
 これは、下図Aのように、角の尖った鬼柏三葉と橄欖三葉が交叉し、中央部に太字 の楷書で書かれた「一中」の字を、かなり大きな○で囲んだものである。

【一高帽章との違い】

一高帽章との違いとして、次の点が挙げられる。
@ 文字(一中)が入っていること。
A 橄欖の実がないこと。
B 橄欖の葉の葉脈が、中央の1本だけ(一高)でなく、さらにその左右に2本ずつ出ていること。
C 柏葉葉脈の支脈が各4本あること(一高は3本)。
D 柏葉葉脈の支脈からさらに支脈が分岐していること。
E 中央の○が、字を含め、きわめて大きいこと。
F ○と字の間が、無数の点で埋められていること。
G 葉脈が掘込(凹型)になっていること。(一高は浮出 [凸型] )。
H 全体に、非対称の点が多く、均整が取れておらず、手作業の印象を受けること。
 この帽章は、第一高等學校に改称された明治27年、字を削除し、橄欖の実を加えた現行(?) のものに改められた(8月9日)(下図B)。

【五高との関係】

 この一中柏葉章は、五高校章(下図C )と酷似している。上記のD、G、Hを除けば、 「一中」を「五高」に変えただけである。
 『五高五十年史』によれば、五中(五高)初代校長野村彦四郎が一中校長からの転 任(明治20年)であったため、「本校設立當時に於て、形式内容ともにその標準となっ たのが、第一高等中學校で」、「柏葉と橄欖葉とを組合せることは、殆ど先決的のもの であった」 とあり、一中と五高の帽章が似ている理由が分る。
 その後、明治27年、高等学校への移行に際し、五高は「五中」を「五高」に改めただ けであるのに対し、「一中」は、文字を取り去り、中央の○を小さくし、橄欖三葉にそれ ぞれ二個の実をつけたことから、両者の類似が分り難くなったものであろう。

【その他の高校】

この他に柏を校章とした旧制高等学校には、山口と高知とがある。
山口は、柏三葉と鍬形上部とで「山」を表わし、高知は、藩主山内の家紋「三つ柏」 (と桂浜を表わす月桂樹の組み合わせ)から採ったとされる (佐竹和世「旧制高等学 校徽章論」) ので、一高柏葉章との関係はとくにないと思われる。(下図参照)。




【参考文献】

・第一高等學校 『第一高等學校六十年史』 (昭和14年)
 (本文中 『一高六十年史』 と略)
・一高同窓会 『第一高等学校自治寮六十年史』 (1994年)
・一高同窓会 『向陵誌』 (第一巻、第二巻、駒場篇、一高応援団史、 昭和59年)
・第二高等学校尚志同窓会 『尚志会報』 (73号、「蜂章特集号」)
・旧制高等学校資料保存会 『資料集成 旧制高等学校全書』 (全8巻、1983年他)
・講談社 『写真図説 嗚呼玉杯に花うけて ―― 第一高等学校八十年史』 (1972年)
 (本文中「講談社 『八十年史』」 と略)
・大平成人、辻幸一 『一高校章試論』 (1999年、非売品)
・辻幸一 「向陵(駒場)の記念碑(続編)」(『向陵』45巻2号、155-157頁)
・石黒徳衞 「わが帽章攷」 (『向陵』 36巻1号、121−126頁)
・松下操 「校章のオークとオリーブを推理する」 (『向陵』 39巻2号、100−105頁)
・岡治道 「向陵誌由来ばなし」 (『向陵』 14巻3号、 18頁)。
・今井紹雄「寮歌集の昭和版」 (『向陵駒場』 10巻3号、 51頁)
・「第一高等中学校の帽章」 (『向陵駒場』 10巻2号、10頁)
・澄田智 「一高時代と昭和史」昭和12年一高会『本郷から駒場へ』(昭和62年)229頁
・佐竹和世「旧制高等学校徽章論(上)」 (『旧制高等学校史研究』 2号、8−9頁)


(註5) 引用については原表記、 固有名詞的なもの ( 「第一高等學校」、「護國旗」 など) については当時の表記 (正字) によった。


(追記)
 この原稿は、柏葉旗の写真その他一高時代の資料の入手が予想以上に困難であったため、 甚だ不完全なものになったことをお詫び致します。今後OBの御協力を得て、 もっと正確で充実したものにしたいと考えております。
  「一高柏葉章」に関係する資料(写真、バッジ、記事など)をお持ちの方には、是非 コピーさせて頂きたく、何でも結構ですので、熊谷まで御連絡くださるようお願い申し上げます。

熊 谷 晃    
(E-mail:bearslodge@nifty.com





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