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 第一高等学校(一高)は、1874年(明治7)、 東京外国語学校の英語科が独立した東京英語学校に始まります。 その後の学制改革により幾多の変遷を経て、1894年(明治27)第一高等学校となり、 1935年(昭和10)本郷向ヶ岡弥生町(現・東京大学農学部敷地)から目黒区駒場 (現・東京大学教養学部敷地)に移転、 1950年(昭和25)第二次大戦敗戦後の学制改革により終焉を迎えました。

 設立の目的は、我が国の近代国家建設のため必要な人材の育成でありましたが、 全国から集まった優秀な生徒と、常に一流の教授陣とにより、その目的は充分に達成されました。
 この間の卒業生は18,633人、政界、官界、財界、 そして学界などあらゆる分野に有為な人材を世に送り出しました。 さらに、小説・短歌・俳句などの文学、音楽・演劇・絵画などの芸術の分野にも多くの卒業生が活躍しました。 また、戦前戦後を通じて多くの卒業生が左翼陣営でも活躍しています。
 その反面、立身出世主義を目指すものだとの批判もありました。しかし、栄華の巷を低く見つつ、 流れる水に書き記したような消えて儚い名は追わずと数多くの寮歌に歌われた心こそ一高生の自負するところだったのです。
 一高の特色としては、単なる高等教育機関に止どまらないものがあります。 これが、生徒による自治制度と、皆寄宿制度(全寮制)です。
 1890年(明治23)2月、木下廣次校長が、完成を見た東西2寮を開くに当り、 自治を許す旨訓示、直ちに生徒側がこれを受け入れて自治制度、皆寄宿制が始まりました。 東西2寮は、1900年(明治33)5寮に、1920年(大正9)8寮となり、 ここに他に類を見ない自治制度に基づく皆寄宿制が完成しました。
 以来、学校における学問の他に、寮室における先輩・後輩、文科生・理科生の別なく、 議論を交わし、友情を深め、啓発・刺激し合った関係から、 さらに有為な人格が形成されて行きました。当初の設立目的から、 さらに拡大された分野へと卒業生が志向したのも、このような寮生活から生れたと解されます。

 また、一高の歴史の中で見逃せないことは、 1896年(明治29)から始まるアメリカ人との野球試合に、13戦11勝と天下を沸かせ、 当時の日本人の国際社会への自信を高めたこと、全寮制などをめぐる所謂「校風論」が盛んに行われ、 校風を形成して来たこと、毎年の紀念祭に作られた3百数十の寮歌があることでしょう。

 一高が生れてから130年、消滅してから50数年、その間、学校76年、皆寄宿制60年、 このような我が母校一高を後世に紹介するために、このサイトを公開しました。
 これからの我が国の高等教育のあり方を考える上で役立つことを期待します。

一 高 同 窓 会



作詞者 矢野勘治氏直筆 「嗚呼玉杯に・・・」



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